コーヒーを飲みながら
昔は財布も入らないような小さなバッグが好きだった。でも、今は、財布も携帯もポーチも入る、大きなバッグを愛用している。ちなみに財布は、カード類がたっぷり収納できる大容量タイプだ。
「若い時は、ハイブランドのものばっかり、使ってたのにね」
目の前で夫が、マグカップを片手に頬杖をついた。コバルトブルーのカップの中には、淹れたてのコーヒーがなみなみと入っている。
「財布をねだられたときは焦ったよ。これからが大変だぞ、って」
夫が一人で、うんうんと頷く。
またか、と私は苦笑いした。
「付き合って初めての、クリスマスだったなぁ」
思い出に浸る夫を横目に、私は窓の外を見た。
すぐそばを、トレンチコートを着た若い女の子が、足早に通り過ぎて行く。風が吹いて、コートの裾が大きくひるがえった。
ちょうど今みたいに、風が強くなってきて、寒さが少しづつ増してきた頃、私たちは付き合い始めた。たしか、大学2年生の秋だったと思う。
私は女子高育ちのお嬢様。夫は仕送りなしの一人暮らし。
お金なんか全然無かったのだけれど、彼はパチンコ屋のアルバイトを増やして、何万もする財布を買ってくれた。
でも、残念なことに、私にはその「すごさ」というか、価値が分からなかった。アルバイトすらしたことがなかったのだから、当たり前と言えば、当たり前だ。
『ありがとう』の一言で済ました私に、夫は少し黙ってから笑った。それがまずかったと分かったのは、随分あとになってからだ。
今思えば、分からなかったというより、私たちのあいだでお金とか、物についての考え方が違っていたのだけなのだけれど(いわゆる価値観のズレというやつ)、夫はそのことを未だに根に持っているらしい。
20年近く前の話なんだから、もうそろそろ忘れてくれてもいいと思う。
「でも、今は仕事もしてるし、ハイブランドも買ってない…私も変わったよねぇ」
頬に手を当てて、可愛らしく小首をかしげてみる。
それを見て、夫は勢いよくコーヒーをすすった。
「ちょっと」
ツッコミを入れてから、私も自分の分をすすった。
豆の香ばしい香りを楽しみながら、我が家のクローゼットの中に思いをはせる。
昔よく使っていたブランドのバッグや財布は、どこに行ったのか。まったく見当がつかない。
「最近、気が付いたんだけど、私、あんまりブランドものって、興味なかったみたい」
「え?」
「周りが持ってるから私も、って感じ?」
「えー…」
絶句した夫に、ざまあみろと心の中で笑ってやった。何がざまあみろなのか、自分で自分にツッコミを入れる。
最近になって気付いたことが、もう一つ。私は人にも自分にも、ツッコむことが好きらしい。昔は、自分はボケ役だと思っていたのに。
人は変わるというけれど、持ち物だって変わる。バッグでも財布でも、今は使いやすさが一番だ。
それでいいじゃない、と私は心の中で笑った。