夏の旅
7月。
夏休みシーズン前の石垣島に、
観光客はほとんどいない。
いるのは野鳥と、僕くらい。
人のまばらな浜辺で、
僕はずっとカメラを覗き込んでいた。
暑くて汗が止まらなかったが、
移り変わっていく海の表情から目が離せなかった。
僕はカメラを片手に世界中を旅している。
こう言うと、
よくプロのカメラマンに間違えられるが、
そうではない。
行った先々でアルバイトをしながら、
生計を立てている。
写真は、小銭稼ぎ程度だ。
「そろそろ定職について欲しい」と
両親から散々言われているが、
どうにもやる気が起きない。
父や母は、
大きな会社に入れば人生安泰だと考えている。
否定はしないが、
僕はその考え方が窮屈で仕方ない。
僕は写真を撮るのが好きだ。
写真を撮っているとき、
僕は自由になる。
音のしない世界で、
僕の目だけが主役になる。
目の前の被写体を切り取るというより、
掴みに行く感覚。
写真はすごく暴力的で、
とても人間的だと思う。
「写真を仕事にしたい」と妹に言ったら、
「バカじゃないの」とにべもなく言われた。
妹は両親に似て現実主義者なのだ。
https://cdn.shopify.com/s/files/1/0266/7151/3623/files/summer_trip.jpg?v=1627980750
*
雲行きが怪しくなってきたので、
僕はリュックサックからタオルを取り出した。
レンズが濡れないよう、
カメラに被せるのだ。
雨粒がポツンと頬に落ちる。
雨脚は次第に強くなり、
あっという間に本降りになった。
僕は慌てて街に向かって走った。
*
大通りに立ち並ぶ店は、
開いてるところも
閉まってるところもある。
僕は小さな雑貨屋らしき店を見つけ、
迷わず入った。
店は人が3人入ったら、
もう誰も入って来られないほど狭かった。
たくさんの商品が棚だけでなく、
壁や床にまで並べられている。
商品にはノートも財布も、
鍋もあった。
店の人は、見当たらない。
僕は店の奥に続く、
おそらく居住スペースであろう場所に
目を凝らした。
誰もいない。
もしかしたら、留守なのかもしれない。
僕は失礼して、
荷物を詰め込んだ重いリュックを床に置いた。
そのとき、
すぐそばでゴソゴソという音がした。
ぎょっとして振り返る。
「…うっうわぁぁぁぁぁぁぁ!」
リュックのすぐ近くの床に、
おじいさんが転がっていた。
「…なんだ、客か」
おじいさんは、
むっくり起き上がると、
頭や背中をボリボリかきだした。
「いらっしゃい」
「え…あ、はい…」
僕は何かを買いに来たわけではない。
ただ、雨宿りがしたかっただけだ。
だから、気まずくなって、
曖昧に返事をした。
おじいさんは、
大きなあくびを一つした。
「いい写真は撮れたか?」
僕は驚いて、おじいさんを見た。
細身で、僕より少し背が低い。
ヨレヨレのTシャツに、
膝までのゆったりしたズボンを履いた、
どこにでもいるようなおじいさんだ。
僕の知り合いにはいないはずだが、
もしかしたら、
どこかで会っているのだろうか。
僕は返事に困った。
何も答えないままだと、
不愉快に思うかもしれない。
そうなると、この店に居づらくなる。
せめて雨が弱まるまでは、
ここに居させてもらいたい。
僕は数秒で打算的な結論を出し、
口を開いた。
「…海の写真で、いいのが撮れました。
まだデータの状態だから、
絶対ではないけど…。
多分、いい出来だと思います」
なるべく笑顔で、そう答える。
世界中を旅して気付いたのは、
言葉以上に笑顔が大切だということだ。
「そうか。
お前、どこで寝泊まりしてる?」
「え?」
意外な方向からの質問に、
僕は驚いて、
再びおじいさんを見つめた。
おじいさんは、
何でもないといった風で
僕の返事を待っている。
僕は今度こそ、本当に、
返事に困った。
実は、お金が底をついて、
昨日まで泊まっていた宿を
出てきたばかりなのだ。
「…」
「ここに泊まるか?」
「…え?」
おじいさんは、
僕の心が読めるのだろうか。
それは、今の僕にとって、
願ったり叶ったりの申し出だった。
「ただし」
おじいさんはニヤリと笑った。
僕はゴクンと唾を飲み込む。
「俺が気に入る写真を撮れたらな」
「…写真?」
そう言うと、
おじいさんは再び床に寝転んだ。
「俺の事は、そうだな、
あっち―と呼べ」
「…あっちー?」
「ここらの言葉で、
おじいさんってことだよ」
あっち―は僕の返事を待つことなく、
大きないびきをかき始めた。
(続)